はんだえもん’s blog

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ストレス管理に関する思索1

ストレス管理について悩んでいる方は相当数いらっしゃると思います。

「気合でなんとかしろ」なんて言われても、おそらくストレスの蓄積プロセスや発散プロセスに個人差がありすぎて、アドバイスをする方もされる方も双方傷つく、ということは多々あると思います。

 今回このブログで発信したいのは、ストレスそのものについて考えてみようということです。

ストレスとは一体?

 精神疾患不眠症など、その原因がストレスだと言われていて、精神医学では恐怖による緊張が脳内の神経物質分泌に異常をきたして疾患が起こる、というようなことが言われています。

 では、ストレスを感じるのはどのような時か考えてみましょう。

 

・満員電車に酔っ払いと一緒に乗る

・前を歩く人の傘の持ち方が嫌だ

・トイレを我慢している

・お腹が空いている

・上司に怒られた

・部下になめられてる気がする

・雨で靴下が濡れている

・急いでいるときに目の前に動作の遅い方がいらっしゃる

・お子様にからかわれる

・コロナで外に出られない

 

 これらを分析して総合的に考えていくと、やはり直接的な恐怖を感じる場面にストレスを感じていることが多いようです。

 満員電車の酔っ払いは何をしでかすかわかったもんじゃないですね。こちらの主張も聞き入れようとしない予測不能の野生動物です。恐怖しかありませんね。

 傘の持ち方にしても、突き刺さる恐怖が一番のストレスですね。

 上司に怒られるのも、恐怖を感じさせる意図があるからストレスになる。

 コロナで外に出られないのはストレスですね。ウイルスの恐怖もあります。職を失う恐怖もあります。

 

 しかし、トイレを我慢するのに恐怖を感じるでしょうか?「おもらし」の不安や恐怖は、成人である我々には無縁のものであるように思います。

 お腹が空いて餓死の恐怖が襲ってくるわけでもありません。

 部下になめられて自殺する人もいるんでしょうけど、その感覚はいまいちわかりません。何に恐怖を感じているのでしょうか‥‥?

 雨で靴下が濡れているのは、毒性のカビが生えることの恐怖感でしょうか‥‥?

 急いでいるときに目の前に動作の遅い人がいるのは、これ以上ないストレスですけど、それによってショック死することはあり得ません。

 子供にからかわれるのは大人な対応をわきまえた人でないとストレスになります。

でも子供に支配される恐怖などないはずです。

 

これらについて考えた結果、一つの答えに辿り着きます。

「‥‥欲求じゃね?」

 

 全て、自分自身の欲求と結びついているということです。

つまり、自分自身の欲求を認識することで、ストレスの正体が見えてくる。

ストレスの正体が掴めないというストレスからまず解放されるわけです。

 

 一つずつ見ていきましょう。

 トイレを我慢するのは排泄に関する欲求ですね。これは肉体を維持するための本能的な欲求なので食欲と一緒にしていいと思います。

 お腹が空く。これも「肉体保持に関する本能的な欲求」です。

 部下になめられるストレスは、承認欲求と支配欲の複合(コンプレックス)によるものですね。

ここでは「社会欲」と呼びます。

 では雨で靴下が濡れているのはどういった欲求からでしょうか?この湿度に関する不快感の原因はおそらく生命維持に関する本能的な欲求があると思われます。水虫を気にしない人もいるように、これはある種の義務に基づいた不快感で、細菌の繁殖を許せない義務感。「衛生義務」とここでは呼びましょう。

 義務は個人の中で習慣化すると「義務欲」へ変化するとしましょう。

 子供にからかわれるストレスには、やはり「社会欲」が関係していると思われます。

その子供の属する「コミュニティの総意」から侮蔑されたと感じるとき、大きなストレスを感じます。この時点で一対一の関係性ではないですね。そこを見誤ると自分自身の欲求から目が逸れます。ここがなかなか自分自身の欲求と向き合えない原因ではないかと思われます。

 

 大方、恐怖と我欲によってストレスの原因を説明できました。

 

 満員電車に酔っ払いと一緒に乗るのは、もちろん酔っ払いの行動予測が立たないというのが最大のストレスですが、他にも匂いの不快感や見た目の不快感、さらに自身の行動可能範囲がゼロというところにもストレスがあります。

 まさにストレスの総合商社です。ちなみにこの国ではもうあり得ませんが、拷問や強姦といった状況にはこれに死の恐怖がプラスされますね。冷静な判断力はまず失われます。ヤクザや半グレはこのような状況を想像上作り上げて感じさせるのが主な仕事になります。

 

 さて、ここに自身の欲求の存在はあるのでしょうか?

過度のストレスを感じたとき、眠くなるのは3大欲求で言うところの睡眠欲です。

別に眠らなくても、横になりたい、座りたいという欲求が働きます。

この欲求を素直に感じることで、ストレスの最大値は2倍に跳ね上がります。

 逆に言うと、この「欲」を自覚してコントロールすることで、ストレスの最大値を半分にまで減らせるということです。

 禅宗で座禅を組んだり滝に打たれたりする、その他にも多くの宗教が断食する主な目的は大方ここに集約されると思います。「我欲」をコントロールするということです。

 

 「我欲」についてまとめてみましょう。

 

・肉体や生命維持に関する本能的な欲求(食欲、排泄)

・繁殖に関する本能的な欲求(性欲、色欲)

・休欲(睡眠欲、横になりたい、座りたい)

・義務欲(習慣化された義務感からの欲求、衛生義務、子供へのしつけ)

 

 次に、「社会欲」についてまとめます。

 

・認欲(承認欲求)

・支配欲(マウント行為、ペット飼育、他人への異常な興味、母性愛)

・集団組織化(群れの形成)に関する本能的な欲求(同調圧力、協力、助け合い)

・捕食に関する本能的な欲求(少年漫画、運動、スポーツ、SMプレイ)

 

 社会欲は特に客観視することが躊躇われる概念だと思います。人間社会は長年、狩る本能を「捕食に関する本能的な欲求」としてスポーツに置き換えたり物語などエンターテイメントとして昇華する事で支配体制下の人々の欲求を解消させてきました。そして我々の人生において最も重視すべき「家族愛」にしても、社会欲が深く結びついています。

 大事なのは「欲は悪」としないことです。キリスト教などの一神教は「貪欲は悪」など軽薄な教えを説きがちです。それは支配の正当化に使われてきました。

 そのことが今尾を引いて数々の問題の原因となっています。

 

 支配体制の強化に伴って人々の「狩る本能」自体が否定され始めたとき、この「ストレス社会」の幕が開けたように感じます。

 昔の人は明日死ぬ可能性というのが非常に高かった。それでもそれが当たり前の日常として、恐怖との共存をしていたと思われます。

 自分自身の欲求と向き合い、コントロールされるのではなく管理していくことが、これからの現代人に引き継がれる最も大きな問題を解決してくれる有効な鍵になると思われます。

 

 以上、個人的な思索を書き連ねました。不快に思われた方、共感してくださった方、その他意見のある方、コメントなどしてくださると光栄です。