はんだえもん’s blog

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 利益  目的としての利。

 取引の大部分は価値の移動であり、その交換性によって生じる利益というのはプラマイゼロになるのが基本である。

 公共の利益となるには、事業主体の損害可能枠の中で破綻せず客体に対して利益を与え続ける仕組みの構築が不可欠。

 

 事業主体の損害可能枠のなかで破綻せず客体に対して利益を与え続ける仕組みの構築

 

 社員や従業員の数を増やせば可能損害枠も大きくなる。

 その実情とは実質的損害の配分に関する議論であって、それは個々の利害認識、目的による。

 故にやりがいであるとか、事業主体からの内的評価、客体からの外的評価が個々の利害認識にとって極めて重要である。

 これを外的評価の構築と解釈して最小単位で無理な評価誘導を行えば、視力に欠けた欺瞞的な雰囲気が蔓延してしまう。

 これでは価値基準がぼやけて、組織は歪み、いずれ崩壊する。

 事業主体の確固たる価値認識に基づいて評価誘導を行わなければならない。

 評価誘導の為の視力、それを維持するエナジー。これを失ってはならない。

 

 評価誘導の為の視力、それを維持するエナジーを失わない為に

 

 日実利理の実行の中で、これを維持していく。怠ける、と休むの区別。頑張る、と実行するの区別。

 頑張ること、怠けることは表裏一体で共に無益である。六道輪廻とはこのことで、事業関係者としての基本であり、これは本能に基づいている。

 六道輪廻から脱却するには、目的を埒の中心に据えて実行と休憩を繰り返すことにある。

 実行の内実を精査することが反省であり、反省なき実行は視力を失わせる。

 視力を失った実行のことを頑張りという。

 何もしないのが休憩である。娯楽を必要としないのが事業主体としての理想である。

 埒の中心に据えた目的のなかに実行を段階的に割り振り、精査しながら休憩を挟んで進めていく。公共の利益の先に利があり、その為の利害認識をすべき。

 目的に迷いを持つ必要がない。なぜなら解決すべき問題の全ては実行手段の精度の中にあるからである。  迷いなき目的、実行だけが座標となり指導主体となり得る。その座標さえ構築維持できれば、自ずと公共の利益は成る。