はんだえもん’s blog

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損害について

 人の損害には二種類ある。

 ひとつは物質的な物、あるいは人との関係性のなかでの証明を失うこと。財布を無くす、お金を盗まれる、あるいは家や土地を没収されること。

 そして婚姻証明や身分証明を失うこと。離婚で嫁や夫を失う、死別によって子や親を失う。

 これらは物質的損失であって、全て目に見えるもの、可視損害である。

 もうひとつは、目に見えない損失。非物質的損失、つまり、不可視損害である。

 それは魚と米の取引において、魚の価値を米に換算する際に生じる疑いのようなもので、「少なくないか…?」のような証明不可の損失の事である。

 価値の取り決めの中にはこの不可視損害は必ず生じるものであって、その解決策として呪術による解釈の変換ということに重きが置かれた。

 それは陰陽師のように組織化され、相撲や祭、戦争のような力の解釈を取り入れながら体系化されて古代神道といった宗教になった。

 人がそれを受け入れた事で経済が成立し、国家となった。

 国家反逆罪というのは、国家があらゆる手段で与える解釈から外れる事を言う。

 その処罰は、監視、処刑、隠匿である。監視した事実、処刑した事実を葬り去る事で、国家というものは成立している。

 ここで間違ってはいけないのは、軽薄な欲望からくる夢想的な野心によって国家解釈を否定するような集団であれば、たとえ反乱、転覆、新政府樹立が成功しても国家の有り様としては悪化する、または特に変化しないということである。

 あなたがもし国家反逆者であるならば、静かに、そして緻密に国家という巨大なシステムを理解して問題と思っている解釈の精査と、解決策の模索に撤するべきである。

 国家に害して消滅する運命にあるものを賊とよび、賊を兵として消滅させるのが戦争の国家としての本意である。

 国家に益して愛される反逆者は侠と呼ばれるべきであって、それを失うことが国家にとって害なのである。