はんだえもん’s blog

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賊と侠

 支配者にとって戦争とは、軍勢を削がれる事である。

 軍勢とは何か。解釈を強制するものである。

 敵将を討ち取るまでが戦争。敵軍を味方として扱うには、多くの段階を成功させなければならない。

 戸惑いや不満、殺意を抱えつつ応無しに従うものは軍勢未満である。

 これが賊である。

 支配者はこの賊の排除を、戦争の第1陣に於いて成す。敵軍による虐殺の中で、あるいは遁走させる。

 家長制度の本意は戦争にあり、目的は解釈の強制である。

 尊厳とは、解釈の自由の中にある。

 解釈の強制は、尊厳の蹂躙に等しい。

 故に、虐殺や追放無しに全員に平等に強く解釈の強制を行えば、つまり尊厳の蹂躙を行えば、死傷者なしで国家を統一できる。

 尊厳が不可視領域であるがゆえに、これは論として成立する。

 現実はどうか?

 家長制度における解釈の強制を、それが目的だと理解しているひとはどれくらいいる?

 それが国家解釈と離反した場合、賊として扱われる。

 故に、家長制度は実質的に目的を失ったと若い人は皆思ってる。

 矛盾するように、家長制度は未だその意味を失っていない。

 賤民の可視損害より、貴族の不可視損害の方が大きい、またはその苦しみはあるいは、平等である事に気付けば、価値の本質的な等価交換が可能なはずなんだけど、多分多くの人は永遠にこれを理解できない。

 それは解釈の強制を旨としながら、それが目的だということに気づかれないように、という圧力によって己の目的を見失っているように錯覚させられているからである。

 私の言っていることは侠であって賊ではない。利益の方向性に理がなければ、それに携わる全ての人が賊になる。国家組織という全体を害する。

 隠しても隠しても、それは露呈して、証明される。

 品格というものはそこにある。血筋はもはや関係ない。

 解釈の強制的同期ではなく解釈の意図的かつ能動的な共振が大事。

 軍勢の第1段階。民族は集団の交雑によって成立している。その集合基点が共振であるか、強制であるかによって今後の家長制度の価値が問われる。

 私は子供たちに共振による集合を選んで欲しいと願い伝えたい。

 

https://youtu.be/IohgTJsyd4A